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2018年1月6日(土)

『天華百剣 -斬-』名刀工・正宗所縁の地“鎌倉”を歩いてみた【前編】

文:喜一

 2017年12月25日――年末の一大行事“クリスマス”に心を躍らせる約70%以上の浮かれ気分なpeople(完全なる憶測)を差し置いて、1人の男が巫剣とお出かけを楽しんでいました。巫剣とは、名剣の乙女たち、いわゆる刀剣の擬人化であります。

 この日、一緒にお出かけをしていたのはアプリ『天華百剣 -斬-』のキービジュアルで中央を飾る“城和泉正宗”ちゃん。刀剣としては、名刀工・正宗が作刀したことでもおなじみです。

『天華百剣 -斬-』
▲城和泉正宗ちゃん。

 今回は、正宗所縁の地である鎌倉で城和泉正宗(巫剣)に思いを馳せてみました。

『天華百剣 -斬-』
▲正義感の強い素晴らしい巫剣です。

※本稿で訪れた場所は『天華百剣』と正式に関係がある場所ではございません。訪問の際も、ご迷惑をお掛けにならないようお願いいたします。

古道“朝夷奈切通(あさいなきりどおし)”を歩く

 相州伝(※)の祖と呼ばれる五郎入道正宗は、相模の国鎌倉で活躍したと言われる刀工です。ということで、私も鎌倉にやってきました!

※相州伝:五ヶ伝と呼ばれる名工や刀工集団を排出した5つの主な生産地の伝法の1つ。相州伝は、鎌倉中期以降に相模国で誕生した伝法といわれます。

『天華百剣 -斬-』
▲時刻は朝6時過ぎ。寒風と小雨が私を襲います。

 さっそく正宗さん所縁の地を訪ねたいところですが、早朝だったこともあり、少し鎌倉を散歩することにします。

『天華百剣 -斬-』
▲ほんと寝坊しないでよかったですよね。

 鎌倉には梶原景時が上総広常を討った際に、太刀の血を洗い流したとされる水があるのです。その名も“太刀洗水”で、鎌倉五名水の1つにも数えられます。

 梶原景時と言えば、刀剣“狐ヶ﨑為次”と縁が深い人物。じつは『天華百剣 -斬-』公式生放送で知った知識です。“教官おかむーの天華百剣 -学-”が役立っていることを感じながら、まずは散歩がてら“太刀洗水”を見に行くことにしました。

 場所は、国指定史跡“朝夷奈切通”の中で、鎌倉方面からの道中にあります。大体、鎌倉駅からは4kmほどで、徒歩ならば1時間もかからない距離です。

『天華百剣 -斬-』
▲土地柄か起伏がありますので、歩いていても楽しいです。

 朝の散歩がてら向かったので、せっかくだからいろいろ見たくなるのが人の性。釈迦堂切通を経由するルートで歩いていたところ、残念ながら通行止めの看板が……。

『天華百剣 -斬-』
▲心配してくれてありがとう。城和泉の優しさが沁みますわ~。

 前もってしっかり調べなかったことを後悔しつつ、“朝夷奈切通”を目指します。

 ちなみに私は徒歩で向かっていますが、もちろんバスなどでも行けます。道中の寺社や名所を眺めながら向かうのも非常に楽しいのでオススメですね。

『天華百剣 -斬-』
▲さすが城和泉。話がわかりますね!

 さて、本題に戻りまして、いよいよ朝夷奈切通に到着しました。お目当ての太刀洗水は、かなり早めに見られて大満足。早朝だったこともあり、人が誰もいなかったのが少し怖かったです(笑)。

『天華百剣 -斬-』
▲こちらが太刀洗水。実際は上に看板があるので、見逃すことはないと思います。

 ついでだから、朝夷奈切通を歩ききってみようと思い、どんどん奥に進んでいく私。笑顔で歩き始めてから、10分。思わず口に出た独り言は「やばくね?」でした。

『天華百剣 -斬-』
『天華百剣 -斬-』
▲少し歩いていくと、かなり足場が悪くなってきました。

 完全に古道を甘く見ていた私は、早朝に雨が降っていたことを忘れて朝夷奈切通に挑んだわけです。なんか道らしきものだったのは最初の200mくらいで、あとは不安定な道が続きます。

『天華百剣 -斬-』
▲途中で何度も城和泉に助けてもらった気がします(あくまで妄想)。

 恐らく2、3回くらい足を滑らせた私は、無事(?)に朝夷奈切通を通過することに成功。足が棒になってしまいましたが、歴史ある古道を歩いたことに満足でした。

『天華百剣 -斬-』
▲朝陽と城和泉。恐らく朝8時あたり。
『天華百剣 -斬-』
▲苦労ばかりでなく、神秘的な景色も見られたので、非常によい経験になりました。

 さて、だいぶ長い前置きになってしまいましたが、いよいよ正宗所縁の地を巡っていきましょう。

東身延本覚寺

 訪れたのは東身延本覚寺さんでございます。ここには正宗の墓があります。

 私は縁故があるわけではありませんので、お墓参りというわけではなく、正宗所縁の地として参拝させていただきました。お寺の方に事情を説明すると、写真撮影の許可もいただけたので、何枚かの写真とともに境内の様子をお伝えします。

『天華百剣 -斬-』

 ちなみに本覚寺がある場所は、幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷(えびす)堂を建てたところといわれています。裏鬼門(南西)とは、鬼門(北東)とともに不吉な方角と言われる方角です。

『天華百剣 -斬-』
▲滑川側、夷堂橋の前にある仁王門。お正月の“初えびす”に向けて準備が進められています。

 境内や門では、お正月の“初えびす”に向けて準備が着々と整えられているようで、ところせましと提灯が並んでおりました。

 仁王門を抜けて、右手側には夷堂があります。夷様は、まず厄よけ(交通安全など)の神、さらに海のかなたから良縁や福をもたらす縁結び、商売繁盛の神様です。

『天華百剣 -斬-』
▲2次元、3次元問わず、良縁がありますように。

 と、仁王門を抜けてすぐに夷堂がありますが、視線を正面に戻すと本堂があります。せっかくですので、私もお参りさせていただくことに。

『天華百剣 -斬-』
『天華百剣 -斬-』
▲眼病に効くお寺でもあり、技芸向上のお寺とも知られているそうです。
『天華百剣 -斬-』
▲鐘楼もありました。

 最後に、正宗記念塔の前に一礼して本覚寺を後にしました。正宗と所縁あるお寺ということで、身も引き締まる思いで見学させていただいたので、おふざけ要素はなしです(当たり前ですが)。

『天華百剣 -斬-』
▲正宗記念塔。本堂の左手前にあります。

 今回は前後編でお届けしますので、前編はここまでとなります。次回も城和泉と正宗所縁の地を訪れたいと思います。それでは!

『天華百剣 -斬-』
▲最高でしたよ!

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